異次元の逃亡者サイレンススズカ
日本競馬における独特の文化として、たぐいまれな才能を誇る競走馬には馬体やレースの特徴に合わせて代名詞がつくことがあります。
その代名詞がついた名馬の中で、異次元の逃亡者と名付けられたのが2000年代初頭に活躍したサイレンススズカです。
アメリカ遠征が計画された中で起きた悲劇
武豊騎手によって才能を開花させたサイレンススズカは、金鯱賞を圧倒的大差で勝った後に春の総決算となる宝塚記念に挑みます。
武豊騎手は外国遠征のために乗り替わりをしてしまいましたが、事前に相手騎手に情報を伝えていたこともあり春のグランプリ宝塚記念を勝利しG1ホースになります。
その類まれな才能は世界を席巻すると陣営と武豊も思っており、日本の中距離を総なめしたら5歳には中距離における本場のアメリカ遠征も視野に入れます。
そして秋初戦の毎日王冠も圧倒し、中距離最強決定戦の天皇賞秋を標準に定めます。そして圧倒的大差勝ちを期待され堂々の1番人気になったサイレンススズカは、レース開始から定位置の先頭を突き進みます。
このままゴールまで進むと思われたが、ここで沈黙の日曜日と語り継がれている悲劇が起きます。
コーナーに侵入する手前で、サイレンススズカが両足に異常を発症し止まってしまいます。
そしてレースが終わり、サイレンススズカの足を検査した医師から両足の骨が複雑骨折をしており血管と神経も損傷をしている重症だと伝えられます。
医師から陣営に手の施しようがない状態で、遅かれ早かれ命が無くなることを伝えられたことにより苦渋の決断として安楽死を選択することになります。
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