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野村沙知代の若い頃って?米兵相手の仕事、元夫や息子との絶縁について調査

テレビ番組・芸能
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野村沙知代とは

野村沙知代の出生名は、伊東芳枝(いとうよしえ)です。愛称はサッチーで、テレビ番組「森田一義アワー笑っていいとも!」の出演時に中居正広から付けられたものです。

父は都営バスの運転手でしたが戦争で家が焼失し、福島県の白河市で国民学校高等科を卒業しました。日本電信電話公社で電話交換手として働いていましたが、ミスコンでミス白川に選出されたのを機に東京に移り住みます。

1957年4月にアメリカ人のアルヴィン・エンゲルと結婚し、5月には長男のダンを出産しました。次男のケニーが生まれたのは1959年です。

1970年に原宿の中華料理店で野村克也と相席になったことで知り合い、付き合い始めたので野村克也は前妻と別居状態になりました。

お互いが結婚している状態のまま、1973年7月に野村克也との間に息子の克則が生まれましたが、1974年6月まで認知されませんでした。

1976年に沙知代の離婚が成立します。沙知代への改名もこの年です。

1978年に野村克也の離婚が成立すると、沙知代は同年4月に克也と再婚しダンとケニーも克也の籍に入りました。

1985年、沙知代はプロ野球界のことを書いた文章で第4回潮賞のノンフィクション部門を受賞します。1996年には新進党公認で衆院選に立候補しますが落選し、繰り上げ当選となりました。

その後の経歴詐称問題を経て、繰り上げ当選の権利は放棄します。2001年には脱税で逮捕され、公判中には今後芸能界での仕事をしないと言っていましたが2年後にテレビ番組に復帰します。

2011年以降は体力の衰えなどから公の場に姿を見せなくなり、2017年に心不全で亡くなりました。

米兵相手の仕事とは

ミス白川に選ばれたあと上京した沙知代は、しばらく実家と連絡を取っていませんでした。

しかし、しばらくすると家族を東京に呼びよせ米兵からもらったお菓子などを渡して、弟妹の学費を援助したと言います。

沙知代本人は当時のことについて何も語りませんでしたが、服装や持ち物などから在日軍米兵を相手にする娼婦だったのではないかと実の弟が証言しています。