1992年までの宮沢りえ
宮沢りえはオランダ人の父・日本人の母のもと、1973年に誕生しました。
そんな彼女は山口小夜子という伝説のパリコレモデルに憧れ、ファッションモデルとしてキャリアをスタートさせた歴史をもちます。
小学校高学年の頃にデビューすると集英社のファッション誌「セブンティーン」の表紙モデルとして大活躍しました。10代半ばからは仕事を女優・タレント業へとシフトさせていき、三井のリハウスのCMや映画「ぼくらの七日間戦争」を通じて大ブレイクを果たします。
その人気は年を追うごとに上昇していき、1990年前後の芸能界においてど真ん中に位置する存在にまで成長し、一挙手一投足が全国民の注目を集めました。
1993年以降の宮沢りえ
1993年に力士(貴花田)との婚約破棄騒動が起こってからは体調に支障をきたすようになり、激やせなどによって人気が低迷します。
しかし、女優としての能力は伸びていく一方で2000年代に入ると実力派女優として大復活し、様々な映画賞を受賞するまでになりました。
私生活では2009年にハワイ在住の男性と結婚したものの短期間で離婚し、2018年春には離婚後に交際が続いていたV6の森田剛と再婚します。
このように、約50年の人生の中で様々な事を経験してきた女性として知られます。
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